大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 平成6年(オ)1796号 判決

上告人(原告)

平岡千明

ほか二名

被上告人(被告)

田代謙二

ほか一名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人林範夫、同坂巻道子の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原審の裁量に属する過失割合の判断の不当をいうものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 小野幹雄 大堀誠一 三好達 大白勝 高橋久子)

上告代理人林範夫、同坂巻道子の上告理由

第一、原判決は、採証法則及び経験則に反して民法第七〇九条の『損害』の解釈を誤り、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令遺背がある。

一、原判決は、上告人平岡千明(以下「上告人千明」という。)がいわゆる植物状態患者であることを認定し、上告人平岡千明の『推定余命年数』を予測した上損害額を算定している。すなわち、上告人千明の『推定余命年数』を『原審の口頭弁論終結時から一〇年間』すなわち平成一六年三月三〇日とし、そのころまでには死亡するものと予測して損害額の算出をしているのである。

二 しかし、交通事故に基づく損害賠償理論では、右『推定余命年数』概念はまだ試論的な範囲を脱していないのであり、確立された概念ではない。すなわち、交通事故により発生した人身損害の算定は、現在の実務はまず第一に被害者の生死により区分し、本件のように生存している場合には(何の立証も要することなく)後遺症の逸失利益の算定は『就労可能年数』イコール六七歳を基準になされているのである。

しかるに、第一級の後遺症を有する被害者のうち、いわゆる植物状態患者になつた被害者にのみ、『就労可能年数』イコール六七歳より遥かに低い『推定余命年数』概念を適用すると、そのことによつて損害額は著しく低額化される。すなわち、『推定余命年数』なる概念は『被害者の救済』という民法第七〇九条の基本理念に反する概念と言つても過言ではない。そうであれば、その導入にあたつては自ら慎重でなくてはならないはずである。ところが、

1 まず、『推定余命年数』概念は社会通念に反する考え方である。

すなわち、『人の死』というものは神聖なものであり、神ならぬ人間が他人の死期を予測するということは社会通念に明らかに反するものである。まして、その死亡する時期を『短か目』に予測するということは社会的に許容されることではない。

このことは、損害の定型化がはかられつつある『交通事故』の分野とは言え同様であり、『推定余命年数』の考え方、未だ生存している被害者に対し、死亡する時期を『短か目』に予測し、損害を『控え目』に認定するという考え方の底流にある『人の死をドライに割り切つて金銭に換算する』という思考方法には人間の生命を軽視するという根本的な危険性か存することは明らかである。

2 しかも『推定余命年数』概念の正当性も未だ十分に明らかにされたとは言えない。

すなわち、原審の採用する統計資料は、原審自ら引用するようにわずか一、七九四例にすぎず、しかも『自動車事故対策センター』あるいは『厚生省大臣官房科学技術審議官室』が主観的に行つたにすぎない過去の私的なデータである。また、両論文とも『推定余命年数』概念の検証のための研究論文でもない。よつて十分な資料とは言えない。この程度の資料に基づいて、植物状態患者になつた被害者にのみ『就労可能年数』イコール六七歳より遥かに低い『推定余命年数』概念を適用し、(生存しているにもかかわらず)被害者の死亡する時期を『短か目』に予測し、損害を控え目に認定するという考え方はその正当性からも問題が存することは明らかである。

3 更に、損害論における『推定余命年数』概念の整合性も全く明らかにされていない。

換言すると、後遺障害の程度は『零』から『植物状態』に至るまで無限に近い段階が存するのであり、後遺症の逸失利益の算定に当たつては、『後遺障害等級表』の第一級から第一四級までに分類された者に対して一律に『就労可能年数』イコール六七歳を基準になされているのである。もとより第一級に該当する後遺障害を有するものは大きな障害を有するからこそ第一級なのであり、その分健常者のような『就労可能年数』イコール六七歳までの就労は可能でないと言いうるかも知れない。しかし、現時点では第一級後遺障害者も第二級以下の者も等しく『就労可能年数』イコール六七歳を基準に逸失利盃の算定を行つているのに、何故第一級後遺障害者のうちの植物状態患者になつた被害者だけに『就労可能年数』ではなく、独自の概念である『推定余命年数』を適用するのかその明確な理由を原審の判断からは見出すことができない。

三 そもそも、植物状態患者となつた被害者にとつて、植物状態患者となつたのも、その余命が明確にできないのもすべて被害者が左右できることではない。しかるに『推定余命年数』概念は、立証責任を強調して植物状態患者の余命を控え目に認定し、控え目に認定することによつて蒙る不利益を被害者に負わせようとする理論である。

しかし、本来逸失利益算定の基礎となる将来の事実(例えば余命年数、就労可能年数、将来の収入及び生活費等)は、いずれも損害額に関する事実であるとは言つても、『認定的事実』ではなく、『予測的』・『擬制的事実』と言うべきものであり、損害の公平な負担という損害賠償法の指導理念に則り相当な損害額を導き出す『道具』にすぎないものである。

そうであれば、植物状態患者の余命認定の困難さに基づく危険は、(立証責任を強調することなく)むしろ(損害の公平な分担との見地から)加害者に負担させるべきであり、植物状態患者になつた被害者の損害も(後遺障害を有する他の被害者と同様に)『就労可能年数』イコール六七歳の原則に戻つて認定すべきである。

四 更に右統計資料中を見ても、例えば、厚生省大臣官房科学技術審議官室の研究の論文中には

1 植物状態患者となつた被害者の原因疾患は、脳血管性障害三四一名・頭部外傷二〇一名・脳腫瘍二二名他(乙第二三号証の一)の記載があるが、原因疾患と生存率または脱却率の分析はされていない。

2 植物状態患者となつている期間は、三~六ケ月から一五年以上の者までおると指摘されており、幅が相当大きい。(乙第二三号証の一)

3 植物状態患者の歴史が浅いこと(乙第二三号証の四・二一二頁部分)及び植物状態に陥つたまま長期間生存する患者が、医療の進歩に伴い増加の傾向にあること(乙第二三号証の二・三一頁部分)からこのような研究に及んだものであることが指摘されているのであるから、決して原審の認定を首肯する記載のみではない。

否、原判決の『推定余命』概念の基礎となつている数値は『自動車事故対策センター』(乙第二四号証)の一論文のみと言つても過言ではないが、乙第二四号証の数値から見ると

4 三〇歳代の植物状態患者の脱却率は事故後五年未満までが一七人中一二人という高率であるが、本件については事故発生より未だ五年を経過しておらず、上告人千明の脱却率の可能性はゼロとは言えないこと。

5 三〇歳代の植物状態患者のうち事故後一〇年以上経過して生存している率は五五人中一一人、割合にして二〇パーセントという高率であること。

から判断するに、事故当時三二歳の上告人千明の生存率及び植物状態脱却率は未だ高いものというべきである。このように本件に即して具体的に検討してみると、原審の判断は採証法則に反し、被害者の保護に欠ける危険性はさらに大きいものというべきである。

第二 原判決の過失相殺についての判断は、民法第七二二条二項及び自動車損害賠償保障法第三条の解釈を誤り、判決に影響を及ぼすこと明らかな違法がある。

一 原判決は、被上告人田代謙二(以下「被上告人田代」という。)の過失割台を七割と認定した理由として、「上告人千明が押しボタンを押さないまま横断した疑いが強く、仮に同上告人が押しボタンを押してから横断を開始し、かつボタンを押したことにより車道用の信号機が直ちに黄色に変わつたとしても、同上告人は深夜、対面信号が赤色を表示している時に横断を開始し、かつ本件事故に遭遇したものと推認することができ、その過失は小さいものではない。」と述べている。

二 しかしながら、民法第七二二条二項の過失相殺の認定に必要な上告人千明の過失は、被上告人らにおいて立証するべき法的義務があることは確定した判例理論であるところ、前記一、の判断はあくまでも原審の『推論』に過ぎず、被上告人らにおいて上告人千明の過失を十分立証することに成功していないのである。

三 すなわち、上告人千明の過失の前提となる「赤信号による横断」は刑事記録によつても断定できるものではなく、、上告人千明の「赤信号による横断」の事実を証明するものは「対面信号が約七〇メートル手前で青だつた。」との被上告人山代の供述が唯一の証拠である。

ところが、被上告人田代には、速度制限違反及び赤信号無視の前歴があること(乙第七号証三、3)、事故当夜、同人は午後一一時からのアルバイトに遅れそうになつていて、もともと注意能力が散漫な状態でハンドルを握つていたこと(乙第八号証三、3)、同人は前照灯を下向きに点灯して走行していたこと(乙第八号証五、1)、深夜で交通量の少ないという一般的な信頼から「まさか事故がおきるまい」との安易な信頼を寄せ、アルバイトのことを考えるなどして前方注視を著しく怠つていたこと(乙第八号証五、3)、同人が上告人千明と衝突した時点で男女の区別はもちろん左右どちらから歩行して来たのかもわからない状態であり、衝突して初めて事故の発生に気づいたこと(乙第八号証五、5.及び6.)等の各事実に5鑑みるとき、同人が約七〇メートル手前で対面信号が青であることを見た(乙第一三号証二)との供述の信用性自体が極めて薄弱であるというべきである。殊に、本件事故現場付近は道路沿いに街路灯が点灯しており割合明るい(乙第八号証四、4)のであるから、事故現場の約七〇メートル手前で対面信号が青であることを確認したという被上告人田代の供述には合理性がないと言わなければならない。

以上要するに原審は、刑事事件における『疑わしきは被告人の有利に』の採証法則を安易に民事事件である本件事実認定に導入し、上告人干明の過失を不利に推定しているのであつて、明らかに不当である。

四 なお、本件の被上告人田代が、本件事故現場付近を

1 制限速度時速四〇キロメートルをはるかに超過する時速七〇キロメートルという高速で走行していたこと

2 本件事故が横断歩道上の事故であること

3 本件事故惹起にあたり、被上告人田代が全く回避措置をとることもなかつたこと

については、全く争いがないのであり、この点の被上告人田代の過失は重大である。被上告人田代の過失が七割を相当とするのは過小にすぎるというべきである。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例